2026/03/29 22:00

桜には色々な種類があると言われていますが、その中でも現代の私たちが目にする代表的な品種が「ソメイヨシノ(染井吉野)」です。ソメイヨシノは江戸時代末期から明治に入った頃に普及し、現在に至ります。一方で、お花屋さんで売られている桜の中には「吉野桜(ヨシノザクラ)」という名前で販売されているものもあります。今回は、この「吉野桜」と「ソメイヨシノ」の意外な関係、そして情熱から生まれた「陽光桜」についてお伝えしていきます。

そもそも、日本人が今のように桜を愛でるようになったのは平安時代以降と言われています。それまでは、花といえば「梅」を指していました。そこから徐々に桜が愛されるようになり、本格的に花見を楽しむ文化が定着したのは江戸時代中期以降のことです。八代将軍・徳川吉宗が王子の飛鳥山や隅田川の土手に桜を植栽したのが始まりと言われ、それ以降、江戸には数多くの桜の名所が作られました。この頃になると、桜を楽しむ習慣は貴族や武家だけでなく、一般庶民にまで広く普及していきました。
江戸時代末期になると、空前の園芸ブームが訪れます。植木職人や好事家たちが現れ、様々な植物を改良して楽しむ文化が成熟していきました。桜も同様に、愛好家たちが熱心に品種改良に取り組みました。桜の改良は、基本的には「枝変わり」を見つけて接ぎ木をするか、自然交配したものを見つけ出すことにあります。特に江戸の終わりから明治にかけては「江戸の五色桜」と呼ばれ、荒川の土手に様々な園芸品種が植えられました。「五色」といっても5種類だけではなく、普賢象、関山、ウコン、御衣黄、神代曙、一葉(イチヨウ)、薄墨、白妙など、多種多様な品種が保存され、それが現代へと伝えられる桜の源流となったのです。
こうした園芸ブームに支えられて多くの桜が守られましたが、実は桜は自然交配が非常に起こりやすい植物です。これらの園芸品種は「里桜(サトザクラ)」と呼ばれ、野生の自然発生種と区別されています。例えば、白い大輪の花が早く咲くオオシマザクラや、その交配種とされるカワヅザクラ、小ぶりな花を咲かせるフジザクラ、秋に咲くジュウガツザクラ、そしてお彼岸の頃に咲くエドヒガンなど、自然界には多様な品種が存在します。

そんな中で誕生したのが「吉野桜」でした。しなやかな枝のラインに対し、大輪の花を多く咲かせ、ほんのりと淡いピンク色を帯びたその姿は非常に魅力的で、「桜といえばこの吉野桜」を指すほどになりました。吉野桜は、江戸の園芸ブームを下支えした染井村の職人たちが生み出した品種です。彼らは桜の名所として名高い奈良県の「吉野」をモチーフとしてその名を付け、販売しました。成長が早く、花付きも良いため、吉野桜は一役大ブームとなります。

桜は、新しく改良された品種や枝変わりの個体を「接ぎ木」することで増やされます。そのため普及のスピードが非常に早く、瞬く間に全国へ広がっていきました。しかし、ここで問題が起こります。本来の桜の名所である奈良県の吉野山側が、この名称に異議を唱えたのです。江戸の染井村で生まれた桜が、あたかも奈良の吉野山の桜であるかのような誤解を招き始めたためでした。

江戸の職人たちが、まだ見ぬ名所・吉野に思いを馳せて名付けた「吉野桜」でしたが、本家からのクレームによってその名を名乗れなくなってしまいました。そこで、吉野の桜と区別するために、産地である染井村の名を冠して「ソメイヨシノ(染井吉野)」と改名されました。ここで初めて、私たちがよく知るその名前が誕生したのです。

ソメイヨシノは樹形が美しく、東京生まれということもあって、多くの街路樹や公園に植えられました。しかし、ソメイヨシノには「樹齢60年説」などの節目があると言われています。現在では、明治や大正期に植えられた老木が朽ちてきている場所も多く、植え替えが進められています。一方で、桜の中には非常に長寿なものもあり、山梨県にあるエドヒガンのように樹齢1000年を超える個体も存在します。
また、切り花として出回るソメイヨシノは、本来の魅力的なピンク色ではなく、白っぽくなってしまうことがあります。これは、出荷を早めるために生産者が「室(むろ)」で蒸して開花を促す際、日光(紫外線)が不足して色素が抜けてしまうためだと言われています。桜のピンク色は「アントシアニン」という物質によるものですが、これは紫外線から細胞を守るために生成されるため、日光を浴びるほど、また寒暖差が激しいほど蓄積されて色が濃くなります。生産者の方々は、この美しい「桜色」を維持するために、ビニールで包んで日光を当てるといった多大な努力をされています。

アントシアニンの含有量は品種によって異なり、神代曙(ジンダイアケボノ)や河津桜(カワヅザクラ)などはもともと色が濃く見えます。その中には、人工的にアントシアニンを多く含むよう作られた「陽光桜(ヨウコウザクラ)」という品種もあります。陽光桜は別名「ベニヨシノ」とも呼ばれますが、その誕生には特別な背景があります。
陽光桜の親である「天城吉野(アマギヨシノ)」は、昭和初期に竹中要博士が、ソメイヨシノがオオシマザクラとエドヒガンの交配種であることを証明する実証実験の過程で生み出したものです。天城吉野は大輪で寒さに強く、香りもあるという優れた性質を持っていたため、その後の交配の親として重宝されました。この天城吉野と寒緋桜(カンヒザクラ)を掛け合わせて陽光桜を生み出したのが、愛媛県の元教員・高岡正明さんです。

高岡さんは、第二次世界大戦中に教え子たちを戦地へ送り出したという強い自責の念から、戦後、彼らが散っていった異国の地でも咲き誇るような「平和の象徴」としての桜を作ることを決意しました。25年以上の歳月をかけ、寒さにも暑さにも強く、北は北海道から南は沖縄までどこでも育つ丈夫な新種を誕生させたのです。

陽光桜はソメイヨシノよりも力強く華やかで、鮮やかな紅紫色の大輪の花を咲かせます。花びらが少し下を向いてうねるように咲くのが特徴で、その驚異的な生命力から全国の街路樹や公園へと広がりました。高岡さんは生涯、この苗木を売ることなく、平和を願って世界各地の戦地やバチカンなどへ無償で贈り続けました。この感動的なエピソードは、2015年に映画化もされています。

陽光桜が「ベニヨシノ」という名で市場に出回ることもありますが、本来の歴史を知れば、「日の光」を意味するその名に敬意を払って呼びたいものです。今回はソメイヨシノと陽光桜にまつわるお話をしましたが、桜の数だけそれぞれの物語があります。また機会があれば、他の品種についてもご紹介したいと思います。

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